東京地方裁判所 平成8年(ワ)613号 判決 2000年12月18日
原告
笹井靖郎
原告
後藤しのぶ
原告
熊倉昭広
原告
友利覚
原告
藏本亮太
原告
齋藤雅靖
原告
浅川紀明
原告
浅川奈緒美(現姓 川久保奈緒美)
原告
戸谷利之
原告
小林茂一
原告
木村博
原告
高橋千恵子
原告
神徳博
右原告ら13名訴訟代理人弁護士
坂本成
同
栄枝明典
被告
株式会社東京貸物社
右代表者代表取締役
石渡亨
右訴訟代理人弁護士
安田修
同
原口健
同
久保田理子
同
土井智雄
主文
一 被告は,原告笹井靖郎に対し,610万4160円及びこれに対する平成6年10月8日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
二 被告は,原告後藤しのぶに対し,4万0556円及びこれに対する平成7年8月18日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
三 被告は,原告熊倉昭広に対し,76万2875円及びこれに対する平成8年3月2日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
四 被告は,原告友利覚に対し,130万7880円及びこれに対する平成8年3月2日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
五 被告は,原告齋藤雅靖に対し,174万9076円及びこれに対する平成6年12月28日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
六 被告は,原告浅川紀明に対し,54万4824円及びこれに対する平成6年10月25日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
七 被告は,原告浅川奈緒美に対し,13万0020円及びこれに対する平成6年4月21日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
八 被告は,原告戸谷利之に対し,11万3745円及びこれに対する平成7年4月18日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
九 被告は,原告小林茂一に対し,263万8768円及びこれに対する平成7年5月18日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
一〇 被告は,原告木村博に対し,260万0064円及びこれに対する平成7年3月18日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
一一 被告は,原告高橋千恵子に対し,563万0560円及びこれに対する平成10年6月19日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
一二 被告は,原告神徳博に対し,60万8000円及びこれに対する平成10年12月22日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
一三 原告笹井靖郎,原告後藤しのぶ,原告熊倉昭広,原告友利覚,原告齋藤雅靖,原告浅川紀明,原告浅川奈緒美,原告戸谷利之,原告小林茂一,原告木村博,原告高橋千恵子及び原告神徳博のその余の請求をいずれも棄却する。
一四 原告藏本亮太の請求を棄却する。
一五 訴訟費用は,原告笹井靖郎に生じた費用の10分の1及び被告に生じた費用の1000分の25を原告笹井靖郎の負担とし,原告後藤しのぶに生じた費用の10分の9及び被告に生じた費用の1000分の9を原告後藤しのぶの負担とし,原告熊倉昭広に生じた費用の10分の1及び被告に生じた費用の1000分の3を原告熊倉昭広の負担とし,原告友利覚に生じた費用の10分の1及び被告に生じた費用の1000分の6を原告友利覚の負担とし,原告藏本亮太に生じた費用の全部及び被告に生じた費用の1000分の40を原告藏本亮太の負担とし,原告齋藤雅靖に生じた費用の2分の1及び被告に生じた費用の1000分の55を原告齋藤雅靖の負担とし,原告浅川紀明に生じた費用の5分の3及び被告に生じた費用の1000分の30を原告浅川紀明の負担とし,原告浅川奈緒美に生じた費用の2分の1及び被告に生じた費用の1000分の5を原告浅川奈緒美の負担とし,原告戸谷利之に生じた費用の5分3及び被告に生じた費用の1000分の6を原告戸谷利之の負担とし,原告神徳博に生じた費用の3分の1及び被告に生じた費用の1000分の10を原告神徳博の負担とし,原告笹井靖郎に生じた費用の10分の9,原告後藤しのぶに生じた費用の10分の1,原告熊倉昭広に生じた費用の10分の9,原告友利覚に生じた費用の10分の9,原告齋藤雅靖に生じた費用の2分の1,原告浅川紀明に生じた費用の5分の2,原告浅川奈緒美に生じた費用の2分の1,原告戸谷利之に生じた費用の5分の2,原告小林茂一に生じた費用の全部,原告木村博に生じた費用の全部,原告高橋千恵子に生じた費用の全部,原告神徳博に生じた費用の3分の2及び被告に生じた費用の1000分の811を被告の負担とする。
一六 この判決は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告は,原告笹井靖郎(以下「笹井」という。)に対し,金671万4576円及びこれに対する平成6年10月1日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
二 被告は,原告後藤しのぶ(以下「後藤」という。)に対し,金38万8621円及びこれに対する平成7年8月11日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
三 被告は,原告熊倉昭広(以下「熊倉」という。)に対し,金83万9163円及びこれに対する平成6年11月11日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
四 被告は,原告友利覚(以下「友利」という。)に対し,金145万0086円及びこれに対する平成6年8月11日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
五 被告は,原告藏本亮太(以下「藏本」という。)に対し,金126万7695円及びこれに対する平成6年9月11日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
六 被告は,原告齋藤雅靖(以下,齋藤」という。)に対し,金315万8355円及びこれに対する平成6年12月28日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
七 被告は,原告浅川紀明に対し,金139万6256円及びこれに対する平成6年9月21日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
八 被告は,原告浅川奈緒美(なお,本人尋問の際には結婚前の姓である「角田奈緒美」と名乗っていたが,口頭弁論終結時には結婚して「川久保奈緒美」と名乗っている。以下「浅川奈緒美」という。)に対し,金27万1282円及びこれに対する平成6年4月21日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
九 被告は,原告戸谷利之(以下「戸谷」という。)に対し,金27万8338円及びこれに対する平成7年4月11日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
一〇 被告は,原告小林茂一(以下「小林」という。)に対し,263万8768円及びこれに対する平成7年5月11日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
一一 被告は,原告木村博(以下「木村」という。)に対し,260万0064円及びこれに対する平成7年3月11日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
一二 被告は,原告高橋千恵子(以下「高橋」という。)に対し,563万0560円及びこれに対する平成9年10月1日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
一三 被告は,原告神徳博(以下「神」という。)に対し,金90万円並びに内金60万8000円に対する平成10年3月11日から支払済みまで年6分の割合による金員及び内金29万2000円に対する同年12月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は,被告を退職した原告らが,被告に対し,被告が退職金規程の存在を秘して退職金規程に基づいて原告らに支払われるべき金額に満たない金額の退職金しか支払おうとしなかったこと又は被告が退職金の支払を理由なく拒んでいることが不法行為に当たるとして,原告笹井については未払退職金及び慰謝料の合計として671万4576円及びこれに対する退職日の翌日である平成6年10月1日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を,原告後藤については未払退職金及びその未払による慰謝料の合計として38万8621円及びこれに対する退職日の翌日である平成7年8月11日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を,原告熊倉については未払退職金及びその未払による慰謝料の合計として83万9163円及びこれに対する退職日の翌日である平成6年11月11日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を,原告友利については未払退職金及びその未払による慰謝料の合計として145万0086円及びこれに対する退職日の翌日である平成6年8月11日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を,原告藏本については未払退職金及びその未払による慰謝料の合計として126万7695円に及びこれに対する退職日の翌日である平成6年9月11日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を,原告齋藤については未払退職金及びその未払による慰謝料の合計として315万8355円及びこれに対する退職日の後であることが明らかな平成6年12月28日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を,原告浅川紀明については未払退職金及びその未払による慰謝料の合計として139万6256円及びこれに対する退職日の後であることが明らかな平成6年9月21日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を,原告浅川奈緒美については未払退職金及びその未払による慰謝料の合計として27万1282円及びこれに対する退職日の後であることが明らかな平成6年4月21日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を,原告戸谷については未払退職金及びその未払による慰謝料の合計として27万8338円及びこれに対する退職日の翌日である平成7年4月11日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を,原告小林については未払退職金として263万8768円及びこれに対する退職日の翌日である平成7年5月11日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を,原告木村については未払退職金として260万0064円及びこれに対する退職日の翌日である平成7年3月11日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を,原告高橋については未払退職金として563万0560円及びこれに対する退職日の翌日である平成9年10月1日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を,原告神については未払退職金及びその未払による慰謝料の合計として90万円並びに内金60万8000円に対する退職日の翌日である平成10年3月11日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金及び内金29万2000円に対する不法行為の後であることが明らかな同年12月15日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を,それぞれ求めた事案である。
二 前提となる事実
1 被告は,呉服展示用具の賃貸,その他用具の賃貸,展示会場の賃貸などを業とする株式会社である(ママ)
(争いのない事実)
2 原告らは,いずれもかつて被告において勤務していたことがある。
(争いのない事実)
3 被告の退職金規程(以下「本件退職金規程」という。)によれば,被告の従業員が自己都合により退職した場合の退職金の金額は,別紙1記載の支給基準率のBの数字(勤続年数に応じて定められている。)を退職時の基本給月額に乗じることによって計算するものとされ(3条),勤続年数は,本採用の日から退職の日までを計算し,勤続年数1年未満は1か月(1か月未満の端数は切り上げる。)につき12分の1を加算し(5条),退職金は退職後速やかにその全額を支払う(8条本文)が,本人在職中の行為で懲戒解雇に相当するものが発見されたときは,退職金を支給しない(8条ただし書)ものとされている。
(争いのない事実,<証拠略>)
4 被告が平成7年2月18日に中央労働基準監督署に届け出た就業規則(以下「本件就業規則」という。)によれば,被告の従業員に対する懲戒は,訓戒,減給,出勤停止,格下げ及び即時解雇であり(68条),被告の従業員が即時解雇に処されるのは,無断欠勤が連続14日以上に及んだとき(72条1号),業務怠慢,故意又は重大な過失のいずれかにより会社に重大な損害を与え,若しくは重大な災害事故を発生させたとき(72条2号),会社の指示に従わず故意に職場の秩序を乱したとき(72条3号),他の社員に対して悪質な暴行脅迫を行ったとき,又はその行為によって業務を妨害したとき(72条4号),他の社員に対して辞職を勧奨するなどして,会社業務に重大な悪影響を及ぼしたとき又は及ぼすおそれがあるとき(72条5号),故意又は重大な過失により顧客リスト・業者リスト等の機密書類又はその写しを社外に持ち出したり,その内容を外部に漏らしたとき,又は持ち出そうとしたり,漏らそうとしたとき(72条6号),会社の承認なく在籍のまま他に就職したとき(72条7号),会社の経営に関する事項の真相を故意にわい曲して流布宣伝し,会社業務に重大な悪影響を及ぼしたとき(72条8号),不正に会社の現金・商品などの金品を持ち出したり,授受したとき,又は持ち出そうとしたり,授受しようとしたとき(72条9号),業務上の地位を利用して私利を得たとき(72条10号),経歴詐称その他の不正手段によって入社したことが判明したとき(72条11号),禁固以上の刑に処せられたとき(72条12号),70条,71条に該当し,情状最も悪質なとき(72条13号),その他前各号に準ずる行為があったとき(72条14号)であり,被告の従業員が減給に処されるのは,無断欠勤が連続10日以上に及んだとき(70条1号),勤務記録や金銭出納などに際して不正な申告をしたとき(70条2号),重大な過失により業務に支障を来したとき(70条3号),重大な過失により会社の信用を損なうような行為をしたとき(70条4号),故意又は重大な過失により設備,用度品,その他の物件を破損,紛失又は濫用したとき(70条5号),再度にわたり訓戒を受け又は69条に該当し情状悪質なとき(70条6号),前各号に準ずる行為のあったとき(70条7号)であり,被告の従業員が出勤停止に処されるのは,故意に業務に支障を来したとき(71条1号),業務怠慢のため相当な災害事故を発生させたとき(71条2号),故意に会社の信用を損なうような行為をしたとき(71条3号),会社の許可なく就業時間中又は会社施設内で業務に関係のない活動をしたとき(71条4号),69条,70条に該当し情状が極めて悪質なとき(71条5号),前各号に準ずる行為のあったとき(71条6号)であり,被告の従業員が訓戒に処されるのは,服務規律に違反したとき(69条1号),正当な理由なくしばしば遅刻,早退,外出又は欠勤して出勤が常ならぬ時(69条2号),正当な理由なくみだりに職場を離れたとき(69条3号),業務上の怠慢により軽微な事故を発生させたとき(69条4号),許可なく又は正当な理由なく終業後みだりに会社内にとどまり,上司の注意に従わないとき(69条5号),災害予防,保健衛生に関する規則又は指示に従わないとき(69条6号),前各号に準ずる行為のあったとき(69条7号)であり,被告の従業員の責務として,退職後3年間は同業他社に就職しないこと及び個人又は会社として同業を営まない(45条7項)ものとされている。
(<証拠略>)
三 争点
1 原告らの退職金の金額について<略>
2 本件退職金規程8条ただし書の適用の有無について
(一) 被告の主張
次の(1)ないし(9)のとおり,原告笹井,原告熊倉,原告友利,原告藏本,原告齋藤,原告浅川紀明,原告小林,原告木村及び原告高橋は,本件就業規則72条に該当する行為をしており,同原告らは,本件退職金規程8条ただし書にいう「本人在職中の行為で懲戒解雇に相当するものが発見されたとき」に該当するから,被告は,同原告らに対し退職金の支払義務を負わない。(なお,被告の平成12年11月22日付け準備書面10(一審最終)の9ページには,原告神についても争点2として整理した主張をする旨の記述があるが,原告神の在職中の懲戒解雇相当事由について具体的に主張した部分は,被告が本件審理において提出した書面には全く見当たらず,口頭による主張の補足もないから,摘示しないこととする。)。<以下略>
(二) 原告らの主張
次の(1)ないし(9)のとおり,原告笹井,原告熊倉,原告友利,原告藏本,原告齋藤,原告浅川紀明,原告小林,原告木村及び原告高橋が被告の主張に係る本件就業規則72条に該当する行為をしたことはなく,同原告らは,本件退職金規程8条ただし書にいう「本人在職中の行為で懲戒解雇に相当するものが発見されたとき」に該当しないから,被告は,同原告らに対し退職金の支払義務を負う。<以下略>
3 退職確認書の提出による不支給の合意の成否等について
(一) 被告の主張
(1) 退職確認書の清算条項による清算について
原告浅川奈緒美,原告後藤及び原告戸谷は,被告から退職金を受領し,今後一切の労働債権が残っていないことを確認する旨の退職確認書を被告に提出しているから,被告は,同原告らに対し退職金の支払義務を負わない。
原告浅川紀明は,被告から退職金を受領し,今後一切の労働債権が残っていないことを確認する旨の退職確認書を被告に提出している上,その代理人である坂本弁護士も同趣旨の念書を被告に提出しているから,被告は,原告浅川紀明に対し退職金の支払義務を負わない。
(2) 退職確認書における不支給の合意について
原告後藤,原告戸谷,原告笹井,原告小林及び原告木村は,「就業規則第45条第7項に則り,退職後3年間は同業他社に就職すること……は一切致しません。」,「万一,……同業の事業に従事し貴社にいささかなりとも不利益や損害を与える恐れがある場合は,貴社に対し退職金の返還はもちろんのこと如何なる損害賠償責任を負う事……をここに誓約します。」旨の退職確認書を被告に提出し,原告齋藤及び原告浅川紀明は,「万一,……同業の事業に従事し,貴社にいささかなりとも不利益や損害の恐れがある場合は,貴社に対し退職金の返還はもちろんのこと如何なる損害賠償責任を負う事……をここに誓約します。」旨の退職確認書を被告に提出した。
右の退職確認書は,直接的には原告後藤,原告戸谷,原告笹井,原告小林,原告木村,原告齋藤及び原告浅川紀明に違反があった場合に同原告らが既払いの退職金の返還義務を負うことを約したものであるが,何らかの事由により退職金が支払われていない場合に同原告らに違反があれば,これを支払わないとすることを甘受する趣旨が当然に含まれているものと解される。なぜなら,そのような場合にいったん退職金を支払った上で即時に又は改めて支払った退職金全額を返還させることは不合理かつ煩雑で全く無益だからである。
(3) 信義則違反,権利濫用について
仮に,退職確認書には(2)で述べたような不支給の合意が成立しているとは解することができないとしても,原告後藤,原告戸谷,原告笹井,原告小林,原告木村,原告齋藤及び原告浅川紀明が退職後に競業しないという誓約をしながら,これに違反したにもかかわらず,退職金の支払を認めることは,信義則に反し,権利の濫用として許されないというべきである。
(二) 原告らの主張
原告浅川奈緒美,原告後藤,原告戸谷,原告笹井,原告小林,原告木村,原告齋藤及び原告浅川紀明が被告に退職確認書を提出したことは認めるが,被告の主張は,同原告らが被告に差し入れた退職確認書が有効であることを前提としているところ,次の(1)及び(2)のとおり同原告らが被告に差し入れた退職確認書は無効であるから,被告の主張は,その前提を欠いており,失当というほかない。
(1) 被告は,同原告らに対し,本件退職金規程があることを秘匿し,退職金は被告の恩恵にすぎないとの虚偽の説明を行い,さらに退職金の支払を受けるためには退職確認書に署名押印しなければならないとの虚偽の説明を行い,退職確認書への署名押印を迫った。また,被告は,同原告らに対し,平成7年2月に本件就業規則を改訂して45条7項を新設したのに,あたかも当初から本件就業規則45条7項が設けられていたかのように装って,退職確認書への署名押印を拒否しても,本件就業規則45条7項に基づいて同様の義務を負担するから,同じことである旨の虚偽の説明を行った。その結果,同原告らは,退職金の支払を受けるには退職確認書に署名押印しなければならないと誤信して,退職確認書に署名押印してこれを被告に提出した。
右によれば,被告は,同原告らを欺もうして同原告らをして退職確認書に署名押印させたものというべきであり,また,同原告らを脅迫して退職確認書に署名押印させたものというべきである。そこで,同原告らは,同原告らが署名押印した退職確認書は詐欺により取り消されるべきものであるとして,平成8年7月4日第3回口頭弁論期日に,被告に対し,これを取り消す旨の意思表示をしている。
以上によれば,同原告らが署名押印した退職確認書は,詐欺を理由とする取消しにより,又は,錯誤により,又は,公序良俗若しくは信義則違反により,又は,労働基準法24条の全額払いの原則に反し,無効である。
(2) 退職した労働者に対する競業避止義務は,期間,地域等を限定するなどして当該労働者の職業選択の自由を過度に侵害してはならないものとされているところ,同原告らが提出した退職確認書は,地域の限定や期間の限定がなく,職業選択の自由を過度に侵害するものとして無効である。
(三) 被告の反論
被告が本件退職金規程を設けて退職金制度を完備していることは周知の事実である。また,被告は,同原告らに退職確認書の提出を求めた際に,本件退職金規程に基づいて計算した退職金の金額を説明した上で,退職後の機密漏えい,競業禁止の約束を定めたものであることを十二分に説明した上で,同原告らに納得してもらってその提出を受けているのである。同原告らの主張に係る虚偽の説明など一切行っていないし,退職確認書の提出が退職金の支払の引換条件とされたこともない。
以上によれば,同原告らが被告に差し入れた退職確認書は,同原告らの自由な意思に基づいて被告との間で取り交わされたものであることは明らかであり,同原告らの意思表示には何らの瑕疵もなく,退職確認書は有効である。
4 権利濫用について
(一) 被告の主張
(1) 原告笹井は,退職確認書を提出しながら,提出時に既に違反行為に及んでおり,原告齋藤,原告浅川紀明,原告小林及び原告木村は,退職確認書を提出しながら,その後違反行為に及んでおり,これらがいずれも背信的行為に該当し,その程度は在職中の業績を失わしめるほどに重大であるから,原告笹井,原告齋藤,原告浅川紀明,原告小林及び原告木村の退職金の請求は,権利の濫用として許されない。
(2) 原告高橋は,本件就業規則45条7項の存在を知りながら,公然とこれを無視し,むしろ害意をもって前記のとおり違法行為に及んでいるのであるから,その悪質性は著しく高いというべきであり,原告高橋の退職金の請求は,権利の濫用として許されない。
(3) 原告神は,本件就業規則45条7項の存在を知りながら,被告を退職した後日本リースに入社して,被告の顧客を奪うなど,被告と敵対する競業行為に及んでおり,これは,就業規則の定めに反し,使用人としての忠実義務に違反する著しい背信行為を構成することは明らかであるから,原告神の退職金の請求は,権利の濫用として許されない。
(二) 原告らの主張
退職確認書が無効であることは前記のとおりであるから,原告笹井,原告齋藤,原告浅川紀明,原告小林及び原告木村の退職金の請求が権利濫用となる余地はない。
また,本件就業規則45条7項は,次の(1)ないし(3)の理由により無効であるから,原告高橋及び原告神の退職金の請求が権利濫用となる余地はない。
(1) 被告は,本件就業規則を被告の従業員に全く周知させておらず,本件就業規則45条7項を新設し,これを平成7年2月28日に中央労働基準監督署に届け出るに当たって労働者の過半数を代表するものの意見を全く聴取しなかった。したがって,本件就業規則45条7項は,労働基準法90条及び106条に違反するものとして無効である。
(2) 本件就業規則45条7項は,大部分が肉体労働にすぎない労働を提供している原告らに対して一律に退職後の競業避止義務を課するものであって合理性がない上,退職金の上積み等の代償措置も一切執られていない。また,退職した労働者に対する競業避止義務は,期間,地域等を限定するなどして当該労働者の職業選択の自由を過度に侵害してはならないものとされているところ,本件就業規則45条7項は,地域の限定や期間の限定が全くない。以上によれば,本件就業規則45条7項は,職業選択の自由を過度に侵害するものとして無効である。
(3) 本件就業規則45条7項は,労働者の労働条件を不利益に変更するものであるから,その変更には合理性を要するものであるところ,本件就業規則45条7項の新設には何らの合理性も存しないから,本件就業規則45条7項は無効である。
(三) 被告の反論
次の(1)ないし(3)によれば,本件就業規則45条7項が有効であることは明らかである。
(1) 本件就業規則は,平成7年2月に改訂されており,その前に行われた改訂は平成6年4月11日であるが,被告は,このときの改訂では,事前に改訂のスケジュールを被告の従業員に公示し,それぞれの部署の管理者を集めて何回かにわたり説明会を行い,改訂の主旨,目的,内容,留意点等について詳細な説明を行い,必要に応じて出席者の意見を求め,さらに出席者に対し改訂の内容を各部署の配下の従業員に通達するよう指示し,改訂について各部署ごとに意見があればそれをまとめて被告に提出するよう求めた。そして,被告は,右の意見聴取手続を経て決定,改訂された就業規則を各部署に送付し,保管管理責任者に保管させることによって各部署に備えおいた。被告は,従業員の申出があれば,随時就業規則を閲覧できることとし,これを周知徹底させるため広報によってその旨を広く社内に知らしめた。被告は,決定した就業規則について説明会や広報活動を行い,新しく入社した従業員に対しても研修会等において就業規則の概要,備置場所,閲覧方法等を説明し,さらに不明な点があれば人事課に問い合わせるよう徹底指導した。
被告は,平成7年2月に行った就業規則の改訂の際にも,労働者を代表すると認められる者の意見を聴取した上,所定の改訂を実施してこれを中央労働基準監督署に届け出て,本件就業規則を各部署の保管管理責任者に配布し,管理責任者会議を開くなどして周知徹底を図っている。
以上によれば,平成7年2月の就業規則の改訂によって新設された本件就業規則45条7項が労働基準法90条及び106条に違反するということはできない。
(2) 労働基準法90条の意見聴取義務とは,就業規則に労働者の意思を極力反映させるための途を開いたものにすぎない(大阪地裁昭和42年3月27日判決,東京地裁昭和43年6月29日判決ほか)から,この義務が履践されなかったとしても,それによって既に作成,変更された就業規則の効力に何らかの影響を及ぼすものではないことは明らかであり,また,労働基準法106条の周知義務は,就業規則が有効であることを前提にその内容を周知徹底させて当該就業規則の適用を完全ならしめようという趣旨に基づく規定である(最高裁昭和27年10月22日大法廷判決)から,この義務が履践されなかったとしても,それによって既に作成,変更された就業規則の効力に何らかの影響を及ぼすものではないことは明らかである。
したがって,仮に平成7年2月の就業規則の改訂が労働基準法90条及び106条に違反するとしても,本件就業規則45条7項が無効となるものではない。
(3) 被告の従業員の中には,被告を退職して独立し,いまだ新規参入者の少ない展示会場設営業務に新規参入することによって被告の従業員として働くよりも割のよい対価を得ようという考え方,風潮がまんえんするようになり,日本リース,ケイ・スリー,斉藤企画などといった被告との競業業務を営む会社が相次いで設立された。被告は,これらの会社による業務妨害にも等しい競業行為や現職の従業員に対する引き抜き,勧誘行為によってその営業活動に著しい支障を来すとともに,現職の従業員のモラルを著しく低下せしめるなど,被告の日常業務に尋常ならざる影響を及ぼすところとなった。そこで,被告は,平成7年2月の就業規則の改訂において本件就業規則45条7項を新設したのである。
本件就業規則45条7項は,被告の従業員に対し一定の不作為を求めるにすぎないから,理論的には被告の従業員の労働条件に変更を及ぼしたものとは評価し得ないものであり,また,本件就業規則45条7項に定める義務は,従業員としての地位を喪失した後に発生するものであるから,被告の労働条件を著しく変更したものでないことも明らかである。
仮に本件就業規則45条7項の新設が被告の従業員の労働条件の不利益変更に当たるとしても,同項の新設は,前記のとおり高度の必要性に基づくものであるから,最高裁昭和43年12月25日大法廷判決(秋北バス事件判決)に照らしても,有効であるというべきである。
5 退職金の支払における被告の原告らに対する不法行為の成否について
(一) 原告らの主張
(1) 被告は,原告笹井,原告後藤,原告熊倉,原告友利,原告藏本,原告齋藤,原告浅川紀明,原告浅川奈緒美及び原告戸谷に対し,本件退職金規程の存在を秘匿し,退職金の請求が同原告らの権利であることを秘して同原告らに対し退職金があたかも被告の自由裁量による恩恵であるかのように説明し,本件退職金規程によって算出される金額に満たない金額の退職金しか支払わなかったが,最近になって,同原告らは,被告に本件退職金規程があることを知り,被告に対し権利として退職金を請求できることを知った。同原告らは,被告の担当者に欺もうされて権利たる退職金支払請求権を行使できなかったのであり,これは,同原告らに対し不法行為を構成する。同原告らは,退職金を満額もらえなかったために,何かと出費が多く不安も大きい退職時において生活上の権利を享受できなかったのみならず,使用者としてあり得べからざる欺もう行為それ自体によって損害を受けたが,この損害は,慰謝料として同原告らの未払の退職金の金額の1割ないし本来支払われるべき退職金の金額のほぼ全額に近いと評価される。
同原告らの慰謝料は,別紙2<略>の慰謝料欄記載のとおりである。
(2) 原告神は,被告に理由なく退職金の支払を拒まれているために精神的苦痛を被ったが,その金額は,29万2000円を下らない。
(二) 被告の主張
被告は,従業員を募集する際に退職金制度のあることを明らかにし,従業員に対し退職金の支払を実施してきており,従業員は,被告に退職金制度があり,退職金規程が完備され,退職する際に所定の退職金が支払われることを知っているのであって,原告笹井,原告後藤,原告熊倉,原告友利,原告藏本,原告齋藤,原告浅川紀明,原告浅川奈緒美及び原告戸谷の主張は,いずれも被告の退職金制度,退職金規程に関する自らの無知,無関心を棚に上げた上で,自らの退職金不支給事由の存在に目をつむったり,退職金の支払の事実を意図的に無視して被告を論難するものにすぎない。
第三当裁判所の判断
一 争点1(原告らの退職金の金額)について
1 本件退職金規程によれば,被告の従業員が自己都合により退職した場合の退職金の金額は,勤続年数に応じて定められている別紙1記載の支給基準率のBの数字を退職時の基本給月額に乗じることによって計算するものとされている(前記第二の二3)。
2 原告友利及び原告藏本を除くその余の原告らの勤続年数は,原告笹井が22年6月,原告後藤が4年11月,原告熊倉が7年1月,原告齋藤が17年4月,原告浅川紀明が13年5月,原告浅川奈緒美が4年7月,原告戸谷が5年1月,原告小林が20年2月,原告木村が22年8月,原告高橋が21年8月,原告神が7年11月であること,原告らの退職時の基本給は,原告笹井が28万2600円,原告後藤が14万9700円,原告熊倉が17万9500円,原告友利が17万3000円,原告藏本が25万6100円,原告齋藤が27万4200円,原告浅川紀明が20万6400円,原告浅川奈緒美が16万5100円,原告戸谷が12万0900円,原告小林が31万0300円,原告木村が27万8900円,原告高橋が27万0700円,原告神が12万8000円であることは,当事者間に争いがない。
原告友利の退職日が平成6年8月10日であることは当事者間に争いがなく,証拠(原告友利)によれば,原告友利の入社日が昭和59年2月16日であることが認められるから,原告友利の勤続年数は10年6月であるものと認められる。
原告藏本の退職日が平成6年9月10日であることは当事者間に争いがないが,本件全証拠に照らしても,原告藏本の入社日が昭和62年4月1日であることを認めるに足りる証拠はなく,弁論の全趣旨によれば,原告藏本の入社日は昭和62年4月11日であることが認められるから,原告藏本の勤続年数は7年5月であるものと認められる。
3 本件退職金規程によれば,別紙1記載の支給基準率は勤続年数に応じて定められており,勤続年数1年未満は1か月(1か月未満の端数は切り上げる。)につき12分の1を加算するものとされている(前記第二の二3)ところ,証拠(<証拠略>)によれば,別紙1記載の会社都合の場合の支給基準率は,勤続年数が1年増えるごとに1.2ずつ増えていることが認められ,以上を総合すれば,被告は,本件退職金規程において,勤続年数1か月につき会社都合の場合の支給基準率の0.1を加算するものと定めていることを認めることができる。
4 以上によれば,原告笹井,原告後藤,原告熊倉,原告齋藤,原告浅川紀明,原告浅川奈緒美及び原告戸谷の退職金の金額は,別紙3のとおりであり,原告小林,原告木村,原告高橋及び原告神の退職金の金額は,別紙4のとおりであり,原告友利の退職金の金額は,
[12.0+(12.0÷10÷12×6)]×173,000×0.6=1,307,880
130万7880円であり,原告藏本の退職金の金額は,
[8.4+(8.4÷7÷12×5)]×256,100×0.5=1,139,645
113万9645円であるものと認められる。
5 原告後藤,原告齋藤,原告浅川紀明及び原告浅川奈緒美がそれぞれ退職金として既に被告から支払を受けた金額が別紙2<略>のAとBの合計金額(C)欄記載のとおりであること,原告小林及び原告木村が退職金として既に被告から支払を受けた金額がそれぞれ336万8640円及び346万8800円であることは当事者間に争いがなく,証拠(原告戸谷)によれば,原告戸谷が退職金として既に被告から支払を受けた金額は25万5000円であることを認めることができる。
そうすると,原告らの未払の退職金の金額は,原告笹井,原告後藤,原告熊倉,原告齋藤,原告浅川紀明及び原告浅川奈緒美については別紙2の(D)マイナス(c)欄記載のとおりであり,原告友利については130万7880円,原告藏本については113万9645円,原告戸谷については11万3745円,原告小林については263万8768円,原告木村については260万0064円,原告高橋については563万0560円,原告神については60万8000円であるということになる。
二 争点2(本件退職金規程8条ただし書の適用の有無)について
1 証拠(<証拠・人証略>)のうちこの認定に反する部分は採用できず,他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 原告笹井は,被告において営業を担当していたが,平成6年7月,被告から支払われる退職金をサラ金からの借入金の返済に充てる目的で被告を退職する旨を申し出たところ,被告代表者は,原告笹井に対し,「退職金は,サラ金への返済ではなく大和銀行からの借入金の返済に充ててほしい。」と求めた上,「個人あるいは会社として同業の事業に従事することは一切致しません。……万一……同業の事業に従事し,貴社にいささかなりとも不利益や損害の恐れがある場合は,貴社に対し退職金の返還はもちろんのこと,如何なる損害賠償責任を負うこと,またその行為の中止を請求されても一切異議を申し立てない事をここに誓約致します。」旨の退職確認書の提出を求めたが,原告笹井は,退職確認書を被告に提出しなかった。原告笹井は,同年9月30日に被告を退職したが,被告から退職金が支払われる見込みがなかったので,労働基準監督署に相談し,同監督署の係官の助言に基づいて同年10月5日に被告あてに退職金の支払を求める内容証明郵便を出した上で,同監督署の係官から被告に問い合わせてもらったところ,350万円余りの退職金が支払われる予定であることが判明した。そこで,原告笹井は,同年11月ころに退職金の支払の件で被告代表者と面談したが,被告代表者は,原告笹井に対し,原告笹井の退職金では大和銀行からの借入金の完済に不足する分の10万円を貸すつもりであることを明らかにした上で,重ねて退職金を大和銀行からの借入金の返済に充てることを求めるとともに,大和銀行が原告笹井の自宅に設定した担保を抹消するから,自宅の権利証を預けるように求めた。さらに,被告代表者は,原告笹井に対し,退職確認書の提出も重ねて求めたが,原告笹井は,退職金を大和銀行からの借入金の返済に充てることには応じず,退職確認書の提出も承知せず,退職確認書はそのまま持ち帰った。原告笹井は,平成7年3月15日に被告代表者と面談し,被告代表者から,「退職するに際し貴社に対し今後一切の労働債権が残っていない事をここに確認致します。……就業規則第45条第7項に則り,退職後3年間は同業他社に就職すること,および個人あるいは会社として同業を営むことは一切致しません。……万一……同業の事業に従事し貴社にいささかなりとも不利益や損害を与える恐れがある場合は,貴社に対し退職金の返還はもちろんのこと如何なる損害賠償責任を負う事,またその行為の中止を請求されても一切異議を申し立てない事をここに誓約致します。」旨の退職確認書の提出を求められ,同日付けでこれに署名押印などして,これを被告に提出したが,被告は,原告笹井に退職金を支払わなかった。原告笹井が退職確認書を被告に提出した当時,原告笹井は斉藤企画の従業員として働いており,被告は,そのことを知っていた。
(<証拠・人証略)
(二) 被告の従業員であった渡辺は,被告に在職中から,退職後に被告との競業業務を営むことを企図して,瀬田及び真栄城稔とともに会社の設立を準備し,平成6年7月10日に被告を退職し,同年9月1日に日本リースを設立した。渡辺は,日本リースの代表取締役に就任し,渡辺の妻である渡辺寿美子と瀬田が日本リースの取締役に就任した。
原告藏本は,被告において営業を担当していたが,渡辺から被告を退職して被告との競業業務を営むことを企図していることを聞かされて渡辺の考えに賛同し,同年7月2日には被告に対し同年8月10日をもって被告を退職する旨を申し出たが,被告は,この申出を受け入れず,結局,原告藏本は,同年9月10日に被告を退職することになった。原告藏本は,渡辺が法務局に日本リースの設立登記を申請するに当たって日本リースの本店所在地として自分の自宅の住所を提供するとともに,日本リースの設立後はその取締役に就任することになっていたが,被告は,原告藏本あてに同年8月12日付けで内容証明郵便を投函し,同月14日には配達されたが,この内容証明郵便では,原告藏本が,A社,B社,C社及びD社などといった被告の顧客,E会館,F会館及びG記念館などといった被告の顧客の業務担当者並びに御店お届け先に対し,現在被告に発注している業務を原告藏本らが設立する会社に発注するよう要請していることなどが指摘された上,その中止や損害賠償などが求められていたことから,原告藏本は,この内容証明郵便を黙殺したものの,日本リースの取締役に就任することについてはいったん断念し,代わりに瀬田が日本リースの取締役に就任することになった。原告藏本は,同年9月10日に被告を退職するや,直ちに日本リースに入社した。原告藏本は,平成7年5月25日に日本リースの取締役に就任したが,平成8年5月に日本リースの取締役を退任し,同社を退職した。
同年6月当時被告の社長室副室長であった吉田は,そのころかねてから知り合いであったH社の社長からI社という会社(以下「I社」という。)が使う呉服地の収納ダンスである絵羽什器70さおの製作依頼を受けた。被告では絵羽什器を製作したことはなかったが,被告と取引のあったJ社(以下「J社」という。)の下請であるK社(以下「K社」という。)が絵羽什器の製作の経験があったことから,T社を通じてK社に外注に出すのであれば,絵羽什器の製作依頼に応じられるということになり,被告は,T社を通じてK社に外注に出すという前提で絵羽什器の製作依頼を受け,H社の催事関係を担当していた原告藏本を絵羽什器の製作の担当とし,原告藏本は,同年7月以降絵羽什器の製作の担当としてI社との打合せを重ねた。その結果,製作する絵羽什器が70さおとかなりの数にのぼるため,サンプルとして1さおを製作し,その上で残りの絵羽什器の製作に取り掛かるということになったが,K社は,原告藏本に対し,「発注書がなければサンプルの製作にとりかかれない。遅くとも同月28日までに発注書が出ないと,納期である同年8月20日には間に合わない。」と伝えていたにもかかわらず,原告藏本は,K社に対しなかなか発注書を出さず,K社に対し発注書を出したのは同月2日であった。K社は,納期までに70さおの絵羽什器を完成させることはできないことを被告に伝えた。被告は,I社に納期の延期を打診したが,I社は,これに応じなかった。そこで,被告は,納期に間に合わせるためにK社で完成させることができない分の絵羽什器の製作を他の業者に発注し,何とか納期までに70さおの絵羽什器を完成させ,これを納期に納めることができたが,絵羽什器の製作は被告にとっては赤字となった。被告は,同年9月3日ごろにK社から絵羽什器の製作の経過について報告を受け,納期に間に合わなかったのが原告藏本の責任であると判断した。原告藏本は,「H社の問題に対して今後誠意を持って対処致します。」旨の同月9日付けの書面を被告に提出した。絵羽什器の製作が納期に間に合いそうにない事態に立ち至ったことは,H社の知るところとなり,以後被告とH社との取引はなくなった。
(<証拠・人証略>)
(三) 原告熊倉は,被告において営業を担当していたが,渡辺が日本リースを設立することを聞かされてこれに参加することにし,平成6年9月11日,被告に対し同年10月10日をもって被告を退職する旨を申し出たが,被告は,この申出を受け入れず,結局,原告熊倉は,同年11月10日に被告を退職することになった。原告熊倉は,同日に被告を退職するや,直ちに日本リースに入社したが,被告を退職する際に被告に名刺を返還しなかった。原告熊倉は,平成8年5月30日に日本リースの取締役に就任し,現在に至っている。
(<証拠・人証略>)
(四) 原告友利は,被告において運転手として資材の搬送を担当していたが,渡辺が日本リースを設立することを聞かされてこれに参加することにし,平成6年7月26日,被告に対し同年8月10日をもって被告を退職する旨を申し出た上,同年7月26日に同月27日から同年8月5日まで有給休暇を取得する旨を被告に届け出て,同年7月27日から同年8月5日まで被告を休んだ。原告友利が休んだころは,必ずしも被告の繁忙期というわけではなかった。原告友利は,平成6年8月10日に被告を退職し,被告を退職するや,日本リースの設立の準備を手伝った。
(<証拠・人証略>)
(五) 原告齋藤は,被告において営業を担当していたが,渡辺が日本リースを設立することを聞かされてこれに参加することにし,平成6年9月10日より前に,被告に対し同年11月10日をもって被告を退職する旨を申し出たが,被告は,この申出を受け入れず,結局,原告齋藤は,同年12月10日に被告を退職することになった。原告齋藤は,被告に在職中に社会保険事務所から雇用保険の申請書の用紙等を取り寄せたことがあるが,この用紙等は,日本リースで使用する目的で被告の事務所に勤務する原告齋藤あてに送付してもらったものである。原告齋藤は,同年12月10日に被告を退職するや,直ちに日本リースに入社した。
原告齋藤は,被告から,「退職するに当たり貴社に対し今後一切の労働債権が残っていない事をここに確認致します。……個人あるいは会社として同業の事業に従事することは一切致しません。……万一……同業の事業に従事し,貴社にいささかなりとも不利益や損害の恐れがある場合は,貴社に対し退職金の返還はもちろんのこと,如何なる損害賠償責任を負うこと,またその行為の中止を請求されても一切異議を申し立てない事をここに誓約致します。」旨の退職確認書の提出を求められ,同月27日付けでこれに署名押印などして,これを被告に提出したが,この退職確認書によって被告を退職した後に日本リースで働くことができなくなることはないと考えていた。原告齋藤は,同月27日に被告から退職金の一部として112万1120円の支払を受け,同月17日に大和銀行から退職金の一部として112万2156円の振込があった。被告は,原告齋藤に対し,退職金の金額は224万3276円であると告げていた。
原告齋藤は,日本リースに入社した後に同社に運転資金を提供したことがあり,また,平成7年5月25日に日本リースの取締役に就任し,現在に至っている。
(<証拠・人証略>)
(六) 原告浅川紀明は,被告において営業を担当していたが,平成5年8月からメニエール氏病を患っていたため,被告を退職して箱根で管理人をして暮らすことにし,平成6年3月20日ころには被告に対し同年6月をもって被告を退職する旨を申し出たが,被告は,この申出を受け入れず,結局,原告浅川紀明は,同年9月10日に被告を退職することになった。原告浅川紀明は,同年6月に被告を退職できなかったため,箱根での管理人の職に就くことができなくなった。その後,被告は,原告浅川紀明あてに同年8月12日付けで内容証明郵便を投函し,同月14日には配達されたが,この内容証明郵便では,原告浅川紀明が,L社,M社及びN社をはじめとする被告の顧客に対し,原告浅川紀明が被告を退職した後は現在被告に発注している業務を原告浅川紀明本人又は原告浅川紀明が勤務する会社に発注するよう要請していることなどが指摘された上,その中止や損害賠償などが求められていたことから,原告浅川紀明は,同月16日付けで坂本弁護士を通じて発注要請等の事実を否定する旨を回答したところ,被告は,この回答には殊更に反論しなかった。
原告浅川紀明が,同年9月,当時被告の社長室長であった古川輝治(以下「古川」という。)に対し退職金の支払を確認したところ,古川は,原告浅川紀明に対し,退職金の支払に当たって同人から退職確認書の提出及び坂本弁護士から念書の提出を求めた。そこで,坂本弁護士は,同年10月12日付けで,「浅川紀明 右の者平成6年9月10日付けをもって貴社を円満退職した件については,今後貴社に対し,何らの請求をしないことはもちろん,貴社との間に一切の債権債務関係のないことを確認いたします。」旨の念書に押印して,これを被告に提出し,原告浅川紀明は,同月25日付けで,「退職するに当たり貴社に対し今後一切の労働債権が残っていない事をここに確認致します。……個人あるいは会社として同業の事業に従事することは一切致しません。……万一……同業の事業に従事し,貴社にいささかなりとも不利益や損害の恐れがある場合は,貴社に対し退職金の返還はもちろんのこと,如何なる損害賠償責任を負うこと,またその行為の中止を請求されても一切異議を申し立てない事をここに誓約致します。」旨の退職確認書に署名押印などして,これを被告に提出した。原告浅川紀明は,同月25日に被告から退職金の一部として72万4500円の支払を受け,同月26日に大和銀行から退職金の一部として72万4500円の振込があった。被告は,原告浅川紀明に対し,退職金の金額は144万9000円であると告げていた。
原告浅川紀明は,同年9月10日に被告を退職した後,同年中に日本リースに入社したが,平成7年6月ころには日本リースを退職した。
(<証拠・人証略>)
(七) 原告木村は,平成6年7月10日ころ,被告に対し退職を申し出たが,被告は,この申出を受け入れなかった。原告木村は,被告代表者との話合いを3,4回重ね,ようやく平成7年に入って,同年3月10日をもって被告を退職することになり,同日に被告を退職した。被告の下請であった株式会社アイトウ電気の経営者の1人であった金井は,平成6年12月をもって同社を退職し,新たに被告との競業業務を営むことを企図していたが,平成7年に入ってから原告木村が被告を退社することを知って,原告木村に右の企図を告げて協力を求めたところ,原告木村は,これを承諾し,木村とともに会社の設立の準備を始めた。
原告小林は,平成7年3月23日には被告に対し退職を申し出たが,そのことを知った金井は,原告小林に前記企図を告げて協力を求めたところ,原告小林は,これを承諾し,原告木村及び金井とともに会社の設立を準備し,同年5月10日に被告を退職し,同月15日にはケイ・スリーを設立した。原告小林は,ケイ・スリーの代表取締役に就任し,原告木村の妻である木村とよ子と金井がケイ・スリーの取締役に就任したが,対外的には原告小林が代表取締役であり,原告木村と金井が取締役であると説明していた。
原告小林と原告木村は,それぞれ,被告から,「退職するに際し貴社に対し今後一切の労働債権が残っていない事をここに確認致します。……就業規則第45条第7項に則り,退職後3年間は同業他社に就職すること,および個人あるいは会社として同業を営むことは一切致しません。……万一……同業の事業に従事し貴社にいささかなりとも不利益や損害を与える恐れがある場合は,貴社に対し退職金の返還はもちろんのこと如何なる損害賠償責任を負う事,またその行為の中止を請求されても一切異議を申し立てない事をここに誓約致します。」旨の退職確認書の提出を求められ,原告小林は,同年5月10日付けで,原告木村は,同年3月10日付けで,それぞれ退職確認書に署名押印などして,これを被告に提出した。原告小林は,被告から退職金の一部として168万2902円の支払を,大和銀行から退職金の一部として168万5738円の振込を,それぞれ受けた。被告は,原告小林に対し,退職金の金額は336万8640円であると告げていた。原告木村は,被告から退職金の一部として173万4400円の支払を,大和銀行から退職金の一部として173万4400円の振込を,それぞれ受けた。被告は,原告木村に対し,退職金の金額は346万8800円であると告げていた。
(<証拠・人証略>)。(ママ)
(八) 被告の取締役であった神は,被告に在職中から,退職後に被告との競業業務を営むことを企図して会社の設立を準備し,平成9年8月10日に被告を退職する旨を申し出て,同年10月10日に被告を退職し,同年11月28日にジェイアンドジェイコーポレーションを設立した。神は,ジェイアンドジェイコーポレーションの代表取締役に就任した。
原告高橋は,被告において営業を担当していたが,神から被告を退職して被告との競業業務を営むことを企図していることを聞かされて神が設立する会社に就職することにし,同年7月ころに被告に対し田舎に帰るので被告を退職したい旨を申し出て,同年9月30日に被告を退職した。原告高橋は,被告を退職した後,ジェイアンドジェイコーポレーションに入社したが,平成10年6月には同社を退職した。
(<証拠・人証略>)
2 1で認定した事実を前提に,原告笹井,原告熊倉,原告友利,原告藏本,原告齋藤,原告浅川紀明,原告小林,原告木村及び原告高橋について本件退職金規程八条ただし書にいう「本人在職中の行為で懲戒解雇に相当するもの」があるかどうかについて判断する。
(一) 従業員が,自分の勤務する会社を退職した後に,自営たると雇用たるとを問わず,その会社が営む業務と同種の業務に従事することは,その従業員がその会社との間で退職後の競業避止義務に関して特別の合意をしていない限りは,何ら妨げられるものではない。そして,従業員が,会社を退職した後に自営たると雇用たるとを問わずその会社が営む業務と同種の業務に従事することを目的に,その会社に在職中に,退職後に従事する業務について準備のためにする諸活動は,原則として何ら妨げられるものではなく,ただ,その準備のためにする諸活動が,その会社の就業規則に抵触する場合には,その抵触する限度において,その就業規則に定める方法によって処分等されることがある。
(二) そこで,(一)の観点から,被告の主張に係る原告らの行為について判断する。
(1) 原告笹井について
原告笹井が,その本人尋問において,被告を退職した後も被告が営む業務と同種の業務に従事したいと考えていたので,退職確認書に署名押印することはできなかったと供述していることに,前記第三の二1(一)で認定した事実及び証拠(原告笹井)も加えて総合考慮すれば,原告笹井が被告を退職する前に被告代表者から提出を求められた退職確認書に署名押印しなかったのは,被告を退職後に斉藤企画で働くことが決まっていたからであると考えられないでもないが,仮にそうであったとしても,そのことが,本件就業規則72条3号,8号,10号,13号又は14号に該当するということはできない。
また,前記第三の二1(一)で認定した事実に,証拠(<証拠・人証略>)を加えて総合考慮しても,原告笹井が,被告に在職中の平成6年夏ごろから,当時被告に在籍しながら独立して競業業務を営むことを企図していた原告藏本をはじめとする従業員と会社近傍の喫茶店等で会合を持つなどして,取引先の紹介や退職後の連携,組織化などを謀議していたこと,原告笹井が,そのころ自分が担当するO文化会館,P社をはじめとする被告の複数の顧客に対し,原告笹井が退職した後は現在被告に発注している業務を原告笹井本人又は原告笹井が勤務する会社に発注するよう要請していたことを認めるには足りないというべきであり,他にこれらの事実を認めるに足りる証拠はないから,これらの事実を認めることはできない。
そして,本件全証拠に照らしても,原告笹井が被告に在職中に本件就業規則72条3号,8号,10号,13号又は14号に該当する行為をしたことを認めることはできない。
(2) 原告藏本について
前記第三の二1(二)で認定した事実に,証拠(<証拠・人証略>)を加えて総合考慮すれば,原告藏本が,被告に在職中から,A社,B社,C社及びD社などといった被告の顧客,E会館,G会館及びG記念館などといった被告の顧客の業務担当者並びに御店お届け先に対し,現在被告に発注している業務を原告藏本が設立する会社に発注するよう要請していたことを認めることができ,この事実は,本件就業規則72条2号及び3号に該当するものというべきである。
また,前記第三の二1(二)で認定した事実によれば,原告藏本がK社から求められていた発注書を出すのが遅れたために,K社による絵羽什器の製作が納期に間に合わない事態となり,納期に間に合わせるために他の業者に絵羽什器の製作を依頼せざるを得ないこととなって,結局のところ,被告にとって絵羽什器の製作は赤字となったことを認めることができ,この事実は,本件就業規則72条2号に該当するものというべきである。
(3) 原告熊倉について
前記第三の二1(三)で認定した事実によれば,原告熊倉が被告に在職中から渡辺が設立する日本リースに参加することにし,被告を退職するや,直ちに日本リースに入社したこと,原告熊倉が被告を退職する際に被告に名刺を返還しなかったことを認めることができるが,これらの事実が本件就業規則72条2号,3号,7号,13号又は14号に該当するということはできない。
そして,本件全証拠に照らしても,原告熊倉が被告に在職中に本件就業規則72条2号,3号,7号,13号又は14号に該当する行為をしたことを認めることはできない。
(4) 原告友利について
前記第三の二1(四)で認定した事実によれば,原告友利が被告に在職中から渡辺が設立する日本リースに参加することにし,被告を退職するや,日本リースの設立の準備を手伝ったこと,原告友利が平成6年7月26日には被告に対し同年8月10日をもって被告を退職する旨を申し出た上,同年7月27日から同年8月5日まで有給休暇を使って被告を休んだが,原告友利が休んだころが必ずしも被告の繁忙期というわけではなかったことを認めることができるが,これらの事実が本件就業規則72条2号,3号,7号,13号又は14号に該当するということはできない。
そして,本件全証拠に照らしても,原告友利が被告に在職中に本件就業規則72条2号,3号,7号,13号又は14号に該当する行為をしたことを認めることはできない。
(5) 原告齋藤について
前記第三の二1(五)で認定した事実によれば,原告齋藤が被告に在職中から渡辺が設立する日本リースに参加することにし,被告を退職するや,直ちに日本リースに入社したこと,原告齋藤は,被告に在職中に社会保険事務所から雇用保険の申請書の用紙等を取り寄せたことがあるが,この用紙等は,日本リースで使用する目的で被告の事務所に勤務する原告齋藤あてに送付してもらったものであることを認めることができるが,これらの事実が本件就業規則72条2号,3号,7号,13号又は14号に該当するということはできない。
そして,本件全証拠に照らしても,原告齋藤が被告に在職中に本件就業規則72条2号,3号,7号,13号又は14号に該当する行為をしたことを認めることはできない。
(6) 原告浅川紀明について
前記第三の二1(六)で認定した事実に,証拠(<証拠・人証略>)を加えて総合考慮しても,原告浅川紀明が,被告に在職中の平成6年夏ごろから,自分が担当するL社,M社及びN社をはじめとする被告の顧客に対し,原告浅川紀明が被告を退職した後は現在被告に発注している業務を原告浅川紀明本人又は原告浅川紀明が勤務する会社に発注するよう要請していたこと,原告浅川紀明が,渡辺及び原告熊倉から日本リース設立の計画があることを知って退職後は同人らと連携することを約し,斉藤吉郎をはじめとする被告の従業員に対し被告からの退職,業務提携を呼び掛けるなどしていたことを認めるには足りないというべきであり,他にこれらの事実を認めるに足りる証拠はないから,これらの事実を認めることはできない。
そして,本件全証拠に照らしても,原告浅川紀明が被告に在職中に本件就業規則72条2号,3号,5号,8号,10号,13号又は14号に該当する行為をしたことを認めることはできない。
(7) 原告小林及び原告木村について
前記第三の二1(七)で認定した事実によれば,原告小林が被告に在籍中から被告との競業業務を営む会社の設立を準備し,被告を退職した直後にケイ・スリーを設立したことを認めることができ,また,原告木村が被告に在籍中から被告との競業業務を営む会社の設立を準備していたのではないかと考えられないでもないが,仮そ(ママ)うであったとしても,これらの事実が本件就業規則72条5号,7号,10号,13条(ママ)又は14号に該当するということはできない。
前記第三の二1(七)で認定した事実に,証拠(<証拠・人証略>)を加えて総合考慮しても,原告小林が,被告に在職中に,被告の顧客に対し,原告小林が被告を退職した後は現在被告に発注している業務を原告小林本人又は原告小林が勤務する会社に発注するよう要請していたこと,原告木村が,被告に在職中に,被告の顧客に対し,現在被告に発注している業務を原告木村が被告を退職した後は原告木村本人又は原告木村が勤務する会社に発注するよう要請していたこと,原告小林及び原告木村が,被告に在職中に,被告の従業員に対し,ケイ・スリーで働かせる目的で退職を勧奨していたことを認めるには足りないというべきであり,他にこれらの事実を認めるに足りる証拠はないから,これらの事実を認めることはできない。
そして,本件全証拠に照らしても,原告小林及び原告木村が被告に在職中に本件就業規則72条5号,7号,10号,13条(ママ)又は14号に該当する行為をしたことを認めることはできない。
(8) 原告高橋について
前記第三の二1(八)で認定した事実によれば,原告高橋が被告に在職中から神が設立するジェイアンドジェイコーポレーションに参加することにし,被告を退職した後,ジェイアンドジェイコーポレーションに入社したことを認めることができるが,この事実が本件就業規則72条7号,13号又は14号に該当するということはできない。
そして,本件全証拠に照らしても,原告高橋が本件就業規則72条7号,13号又は14号に該当する行為をしたことを認めることはできない。
(三) (二)によれば,
(1) 原告笹井,原告熊倉,原告友利,原告齋藤,原告浅川紀明,原告小林,原告木村及び原告高橋には,本件退職金規程8条ただし書にいう「本人在職中の行為で懲戒解雇に相当するもの」があるということはできないから,被告は,同原告らに対し,本件退職金規程8条ただし書を根拠に同原告らの退職金の支払を拒むことはできない。
(2) これに対し,原告藏本については本件就業規則72条に違反する行為があったわけであるが,退職金規程において懲戒解雇事由がある労働者には退職金を支給しないという条項が設けられている場合に,たとえ労働者に懲戒解雇事由が存在しても,それが当該労働者の長年の功労を無にするほどのものとはいえない場合には,その労働者を懲戒解雇に処したとしても,それは懲戒権の濫用として無効であり,また,その労働者を懲戒解雇に処さずに退職金規程の適用においてのみその労働者が懲戒解雇に処されたのと同視して取り扱うとしても,そのような取扱いは許されないというべきであり,したがって,そのような場合にはその労働者に退職金不支給条項をそのまま適用することはできないものと解される。
そして,原告藏本について言えば,本件就業規則72条に違反する原告藏本の在職中の行為のうち,被告の顧客への発注要請は,被告の企業としての存立を危うくする行為であり,絵羽什器の製作における職務怠慢は,被告に現実的な損害を与えたのみならず,被告の顧客に対する信用を失墜せしめる行為であって,いずれも被告としては決して看過することができない行為であり,これらの行為と,7年5月という原告藏本の勤続年数(前記第三の一2)及び113万9645円という原告藏本の退職金の金額(前記第三の一4)を対比すれば,原告藏本の在職中の行為は,同人の長年の功労を無にするほどのものというべきであるから,原告藏本には,本件退職金規程8条ただし書にいう「本人在職中の行為で懲戒解雇に相当するもの」があるということができ,したがって,被告は,原告藏本に対し退職金の支払義務を負わない。
三 争点3(退職確認書の提出による不支給の合意の成否等)について
1 原告浅川奈緒美,原告後藤,原告戸谷,原告笹井,原告小林,原告木村,原告齋藤及び原告浅川紀明が被告に退職確認書を提出したことは当事者間に争いがない。
前記第三の二1で認定した事実及び証拠(<証拠略>)によれば,原告齋藤及び原告浅川紀明が被告に提出した退職確認書の内容は,「退職するに当たり貴社に対し今後一切の労働債権が残っていない事をここに確認致します。……個人あるいは会社として同業の事業に従事することは一切致しません。……万一……同業の事業に従事し,貴社にいささかなりとも不利益や損害の恐れがある場合は,貴社に対し退職金の返還はもちろんのこと,如何なる損害賠償責任を負うこと,またその行為の中止を請求されても一切異議を申し立てない事をここに誓約致します。」というものであり,原告後藤,原告戸谷,原告笹井,原告小林及び原告木村が被告に提出した退職確認書の内容は,「退職するに際し貴社に対し今後一切の労働債権が残っていない事をここに確認致します。……就業規則第45条第7項に則り,退職後3年間は同業他社に就職すること,および個人あるいは会社として同業を営むことは一切致しません。……万一……同業の事業に従事し貴社にいささかなりとも不利益や損害を与える恐れがある場合は,貴社に対し退職金の返還はもちろんのこと如何なる損害賠償責任を負う事,またその行為の中止を請求されても一切異議を申し立てない事をここに誓約致します。」というものであり,原告浅川奈緒美が被告に提出した退職確認書の内容は,「退職するに当り会社に対し今後一切の労働債権が残っていない事をここに確認致します。なお退職するに対し,退職金として金弐拾参萬参千弐百円也右金額確かに受け取りました事をここに書面にて確認致します。」というものであり,坂本弁護士が原告浅川紀明の代理人として被告に提出した念書の内容は,「浅川紀明 右の者平成6年9月10日付けをもって貴社を円満退職した件については,今後貴社に対し,何らの請求をしないことはもちろん,貴社との間に一切の債権債務関係のないことを確認いたします。」というものであることが認められる。
2(一) 1の事実によれば,原告後藤,原告戸谷,原告笹井,原告小林,原告木村,原告齋藤及び原告浅川紀明が被告に提出した退職確認書は,同原告らが被告を退職した後の競業避止義務を定めるものということになる。
(二) 一般に労働契約終了後の競業避止義務を定める特約は,競業行為による使用者の損害の発生防止を目的とするものであるが,それが自由な意思に基づいてされた合意である限り,そのような目的のために競業避止義務を定める特約をすること自体を不合理であるということはできない。しかし,労働契約終了後は,職業選択の自由の行使として競業行為であってもこれを行うことができるのが原則であるところ,労働者は,使用者が定める契約内容に従って付従的に契約を締結せざるを得ない立場に立たされるのが実情であり,使用者の中にはそのような立場上の差を利用し専ら自己の利のみを図って競業避止義務を定める特約を約定させる者がないとはいえないから,労働契約終了後の競業避止義務を定める特約が公序良俗に反して無効となる可能性を否定することはできないが,少なくとも競業避止義務を合意により創出するものである場合には,労働者は,もともとそのような義務がないにもかかわらず,専ら使用者の利益確保のために特約により退職後の競業行為避止義務を負担するのであるから,使用者が確保しようとする利益に照らし,競業行為の禁止の内容が必要最小限度にとどまっており,かつ,右競業行為禁止により労働者の受ける不利益に対する充分な代償措置を執っている場合には,公序良俗には反せず,その合意は有効であると解するのが相当である。
なぜなら,退職した労働者が退職前に従事していた業務において習得した知識や経験などを生かして退職前に従事していた業務と同種の業務に退職後に従事することは,職業選択の自由の行使として本来自由に許されるべきものであるところ,労働者が使用者との契約によって競業避止義務を負う場合には,その労働者が退職前に従事していた業務と同種の業務に退職後に従事することが禁止され,そのためその労働者が退職後に生活を維持する方法として退職前に従事していた業務と同種の業務に従事することを選択することができないのであり,それによって労働者が経済的な不利益を被ることが予想されるが,労働者がそのような不利益を被るのは使用者が契約によって労働者の退職後の職業選択の自由を制限しようとすることによるのであるから,労働者としては,使用者にその労働者の被る不利益についてその代償となる措置を講ずることが求めることになるのであるのが自然であって,競業行為の禁止の内容が必要最小限度にとどまっている上に,右競業行為禁止により労働者の受ける不利益に対する充分な代償措置を執っている場合には,使用者が労働者との立場上の差を利用し専ら自己の利のみを図って競業避止義務を定める特約を約定させたとは考え難いというべきだからである。
(三) 本件において,
(1) 被告が退職確認書の提出の前後において原告笹井,原告小林,原告木村,原告齋藤及び原告浅川紀明に明らかにした同原告らの退職金の金額は,いずれも本件退職金規程に基づいて計算された退職金の金額よりも少なかったことは,前記第三の二1のとおりである。
(2) 証拠(<証拠・人証略>)によれば,原告後藤が,平成7年8月10日付けで退職確認書に署名押印などして,これを被告に提出したこと,原告後藤は,同年9月7日に被告から退職金の一部として15万3672円の支払を受け,同月20日に大和銀行から退職金の一部として15万9064円の振込があったこと,被告は,原告後藤に対し,退職金の金額は31万2736円であると告げていたこと,原告戸谷が,同年4月10日付けで退職確認書に署名押印などして,これを被告に提出したこと,原告戸谷は,同年9月13日に被告から退職金の一部として12万7500円の支払を受け,同年6月8日に大和銀行から退職金の一部として12万7500円の振込があったこと,被告は,原告戸谷に対し,退職金の金額は25万5000円であると告げていたことが認められ,これらの事実によれば,被告が退職確認書の提出の前後において原告後藤及び原告戸谷に明らかにした同原告らの退職金の金額は,いずれも本件退職金規程に基づいて計算された退職金の金額よりも少なかったことを認めることができる。
(3) 以上によれば,被告と原告後藤,原告戸谷,原告笹井,原告小林,原告木村,原告齋藤及び原告浅川紀明は,被告が同原告らから退職確認書の提出を受けたことによって退職確認書に定める内容の競業避止義務を同原告らに課すことを合意したが,被告は,同原告らから退職確認書の提出を受ける際に,同原告らに競業避止義務を課することに対する代償措置を全く執っていないのであるから,その合意は公序良俗に反して無効である。
(四) 被告は,退職確認書に競業避止義務を課する部分があることを根拠に原告後藤,原告戸谷,原告笹井,原告小林,原告木村,原告齋藤及び原告浅川紀明に対する退職金の未払分について支払義務はないと主張するが,退職確認書において同原告らに競業避止義務を課する部分は無効であるから,その余の点について判断するまでもなく,被告は,同原告らに対し,退職確認書を根拠に同原告らの退職金の支払を拒むことはできない。
3 1の事実によれば,原告浅川奈緒美,原告後藤及び原告戸谷が被告に提出した退職確認書は,同原告らが被告から受領する退職金の外には退職金や賃金の未払分はないことを確認する清算条項を定めたものということになる。
しかし,証拠(<証拠・人証略>)によれば,原告浅川奈緒美が,平成6年4月10日付けで退職確認書に署名押印などして,これを被告に提出したこと,原告浅川奈緒美は,同年4月に被告から退職金の一部として11万6600円の支払を受け,同月27日に大和銀行から退職金の一部として11万6600円の振込があったこと,被告は,原告浅川奈緒美に対し,退職金の金額は23万3200円であると告げていたが,本件退職金規程に基づいて計算された退職金の金額が幾らになるかは明らかにしていなかったこと,原告後藤,原告浅川奈緒美及び原告戸谷は,退職確認書を被告に提出した当時,いずれも本件退職金規程に基づいて計算した自分の退職金が幾らになるかを知らなかったことが認められ,これらの事実に前記第三の三2(三)(2)の事実を加えて総合考慮すれば,原告浅川奈緒美,原告後藤及び原告戸谷は,本件退職金規程に基づいて計算した退職金の金額を知って退職確認書に署名押印などして,これを被告に提出したわけではないものというべきである。
したがって,被告は,原告浅川奈緒美,原告後藤及び原告戸谷に対し,退職確認書を根拠に同原告らの退職金の支払を拒むことはできない。
4 1の事実によれば,原告浅川紀明が被告に提出した退職確認書及び坂本弁護士が原告浅川紀明の代理人として被告に提出した念書は,原告浅川紀明が被告から受領する退職金の外には退職金や賃金の未払分はないことを確認する清算条項を定めたものということになる。
しかし,証拠(<証拠・人証略>)によれば,原告浅川紀明も,その代理人である坂本弁護士も,退職確認書を被告に提出した当時,本件退職金規程に基づいて計算した原告浅川紀明の退職金が幾らになるかを知らなかったことが認められ,この事実に前記第三の二1で認定した事実を加えて総合考慮すれば,原告浅川紀明は,本件退職金規程に基づいて計算した退職金の金額を知って退職確認書に署名押印などして,これを被告に提出したわけではないし,その代理人である坂本弁護士も,本件退職金規程に基づいて計算した原告浅川紀明の退職金の金額を知って念書に押印して,これを被告に提出したわけではないものというべきである。
したがって,被告は,原告浅川紀明に対し,退職確認書を根拠に同原告の退職金の支払を拒むことはできない。
四 争点4(権利濫用)について
1 原告笹井,原告齋藤,原告浅川紀明,原告小林及び原告木村が被告に退職確認書を提出した当時またその後に被告との競業業務に従事していることは,前記第三の二1で認定したとおりであるが,前記第三の三で認定,説示したことに照らせば,そのことを理由に原告笹井,原告齋藤,原告浅川紀明,原告小林及び原告木村の退職金の請求が権利濫用として無効であるということはできない。
2(一) 前記第三の二1で認定した事実及び証拠(<証拠・人証略>)によれば,本件就業規則は,平成7年2月に改訂され,その際に本件就業規則45条7項が新設されたこと,原告高橋も,原告神も,被告を退職した当時には,本件就業規則45条7項の存在を知っていながら,退職後に被告との競業業務に従事していたことが認められる。
右の事実及び本件就業規則45条7項の内容(前記第二の二4)によれば,被告は,本件就業規則45条7項を新設することによって新たに被告の従業員の退職後の競業避止義務を定めたということができる。
(二) ところで,労働者の労働契約終了後の競業避止義務を定める就業規則の効力の検討においては,前記第三の三2(二)で説示した理があてはまるものというべきであるが,<1>被告は,本件就業規則45条7項を新設して,平成7年2月以前は定められていなかった被告の従業員の退職後の競業避止義務を平成7年2月に新たに定めたこと,<2>競業避止義務は,使用者と労働者との間の合意によって労働者に課すことができるものであること(前記第三の三2(二))からすれば,労働条件に付随し,これに準ずるものというべきであること,<3>競業避止義務が課せられれば,労働者は,退職後の職業選択の自由が制限されるから,使用者が就業規則において新たに労働者の退職後の競業避止義務を定めることは,労働者の重要な権利に関し実質的な不利益を及ぼすものというべきであること,以上の点に照らせば,本件就業規則45条7項の効力は,いわゆる労働者に不利益な労働条件に関する就業規則の変更の合理性の問題として検討すべきであるということになる。
そして,労働者に不利益な労働条件を一方的に課する就業規則の作成又は変更の許否に関する判例法理(最高裁昭和43年12月25日大法廷判決・民集22巻13号3459頁,最高裁昭和58年7月15日第二小法廷判決・判例時報1101号119頁,最高裁昭和58年11月25日第二小法廷判決・判例時報1101号114頁,最高裁昭和61年3月13日第一小法廷判決・裁判集民事147号237頁,最高裁昭和63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号60頁,最高裁平成3年11月28日第一小法廷判決・民集45巻8号1270頁,最高裁平成4年7月13日第二小法廷判決・判例時報1434号133頁,最高裁平成9年2月28日第二小法廷判決・民集51巻2号705頁,最高裁平成12年9月7日第一小法廷判決・裁判所時報1275号8頁,最高裁平成12年9月22日第二小法廷判決・裁判所時報1276号2頁)に照らせば,使用者が就業規則の作成又は変更によって労働者に労働契約終了後の競業避止義務を一方的に課すことは,労働者の重要な権利に関し実質的な不利益を及ぼすものとして原則として許されず,競業避止義務が退職後の労働者の職業選択の自由を侵害するものであることを勘案しても,なおこれを課さなければ使用者の保護されるべき正当な利益が侵害されることになるという点において退職後の労働者に競業避止義務を課すべき高度の必要性が存し,かつ,必要かつ相当な限度で競業避止義務を課するものであるときに限り,その合理性を肯定する余地があるものと解されるが,その合理性の判断に当たっては,労働者の受ける不利益に対する代償措置としてどのような措置が執られたか,代償措置が執られていないとしても,当該就業規則の作成又は変更に関連する賃金,退職金その他の労働条件の改善が存するかが,補完事由として考慮の対象となるものというべきである。
(三) 前記第三の二1で認定した事実及び証拠(<証拠・人証略>)によれば,平成6年に入ってからは被告の従業員の中に被告を退職して被告との競業業務を営む者が急に増加しており,同人らの営む会社との間で受注のための競り合いが繰り広げられていることが認められ,このような状況の下では被告としても退職後の従業員の競業の禁止を求めたくなるのも無理からぬことといえなくはないが,そのことから直ちに被告の従業員に一律に競業避止義務を課する高度の必要性があると言い得るかは疑問である上,本件全証拠に照らしても,被告が,本件就業規則45条7項の新設に当たって,競業避止義務を課すことによって被告の従業員の退職後の職業選択の自由を制限する結果となることに対する代償措置と評価し得る措置を執ったことは全くうかがわれないのであって,以上によれば,本件就業規則45条7項の新設に合理性があるということはできない。
(四) そうすると,その余の点について判断するまでもなく,本件就業規則45条7項は無効であるから,原告高橋及び原告神が,被告を退職した当時には,本件就業規則45条7項の存在を知っていながら,退職後に被告との競業業務に従事していたからといって,そのことから直ちに原告高橋及び原告神の退職金の請求が権利濫用として無効であるということはできない。
3 以上によれば,被告は,原告笹井,原告齋藤,原告浅川紀明,原告小林,原告木村,原告高橋及び原告神に対し,同原告らの退職金請求が権利濫用であることを理由に同原告らの退職金の支払を拒むことはできない。
五 原告らの退職金請求についての小括
以上によれば,被告の主張に係る原告らの請求に係る退職金の支払を拒絶する理由は,原告藏本を除いて,いずれも採用できないから,被告は,原告藏本を除くその余の原告らに対し,前記第三の一5で認定した退職金の未払分について支払義務を負う。
そして,本件退職金規程によれば,退職金は退職後速やかにその全額を支払うものとされているが,右の「速やかに」とは,法律用語の用語例としては特段の事由のない限り訓辞的意味しか有しないものと解されるところ,本件において特段の事由を認めるに足りる証拠はないから,本件退職金規程8条本文を根拠として原告藏本を除くその余の原告らの退職金の支払期日が退職後直ちに到来したものということはできず,他に同原告らに対する退職金支払債務につき確定期限の存在を認めるに足りる証拠はない。そうすると,同原告らに対する退職金支払債務は期限の定めのない債務というべきであり,同原告らが被告に退職金の支払を請求したときに,その期限が到来するところ,原告笹井がその退職前から被告に対し退職金の支払を求め続けていたことは前記第三の二1で認定したとおりであるから,原告笹井に対する退職金支払債務については原告笹井の退職日から7日おいて後である平成6年10月8日(労働基準法23条)から遅滞に陥っているというべきであり,原告浅川奈緒美,原告後藤,原告戸谷,原告小林及び原告木村が被告に退職確認書を提出したことは前記第三の二1,第三の三1,同2(三),同3で認定したとおりであり,その提出の日付からすれば,同原告らに対する退職金支払債務については遅くとも各退職金確認書の日付から7日おいて後(労働基準法23条)から遅滞に陥っているものというべきであり,原告齋藤及び原告浅川紀明が被告に退職確認書を提出したことは前記第三の二1で認定したとおりであり,その提出の経緯からすれば,同原告らに対する退職金支払債務については遅くとも退職金確認書の日付(労働基準法23条を勘案しても,遅くともこの日付までには遅滞に陥っているものと認められる。)からは遅滞に陥っているものというべきであり,原告熊倉及び原告友利に対する退職金支払債務については,同原告らの被告に対する退職金請求は記録上明らかな本件訴状の送達の日である平成8年2月23日であると認められるから,同日から7日おいて後の同年3月2日から遅滞に陥っているものというべきであり,原告高橋に対する退職金支払債務については,同原告の被告に対する退職金請求は記録上明らかな本件訴状の送達の日である平成10年6月11日であると認められるから,同日から7日おいて後の同月19日から遅滞に陥っているものというべきであり,原告神に対する退職金支払債務については,同原告の被告に対する退職金請求は記録上明らかな本件訴状の送達の日である平成10年12月14日であると認められるから,同日から7日おいて後の同月22日から遅滞に陥っているものというべきである。したがって,被告は,原告藏本を除くその余の原告らに対し,右で認定した各起算日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払義務を負う。
これに対し,被告は,原告藏本に対しては退職金の未払分の支払義務を負わない。
六 争点5(退職金の支払における被告の原告らに対する不法行為の成否)について
1 財産権に対する侵害行為については,その侵害行為によって権利者が被った財産上の損害がてん補されれば,このことによって権利者の精神上の苦痛も同時に治ゆされるものと解するのが相当であって,権利者は,他に特段の事情がない限り,財産上の損害の賠償の外に,慰謝料の請求をなし得ないものというべきである。
そして,被告が退職確認書の提出の前後において原告笹井,原告小林,原告木村,原告齋藤及び原告浅川紀明に明らかにした同原告らの退職金の金額が,いずれも本件退職金規程に基づいて計算された退職金の金額よりも少なかったことは,前記第三の二1のとおりであり,被告が退職確認書の提出の前後において原告後藤及び原告戸谷に明らかにした同原告らの退職金の金額が,いずれも本件退職金規程に基づいて計算された退職金の金額よりも少なかったことは,前記第三の三2(二)のとおりであり,被告が退職確認書の提出の前後において原告浅川奈緒美に明らかにした同原告の退職金の金額が本件退職金規程に基づいて計算された退職金の金額よりも少なかったことは,前記第三の一5,第三の三3から明らかであるが,これらの事実に証拠(<証拠・人証略>)を総合しても,本件において右にいう特段の事情があることを認めることはできない。
2 そうすると,その余の点について判断するまでもなく,原告らの慰謝料の請求は理由がない。
七 以上によれば,原告藏本の請求は理由がないが,原告笹井の請求は,610万4160円及びこれに対する請求から7日おいて後の平成6年10月8日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,原告後藤の請求は,4万0556円及びこれに対する請求の日から7日おいて後の平成7年8月18日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,原告熊倉の請求は,76万2875円及びこれに対する請求から7日おいて後の平成8年3月2日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,原告友利の請求は,130万7880円及びこれに対する請求から7日おいて後の平成8年3月2日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,原告齋藤の請求は,174万9076円及びこれに対する請求から7日おいて後であることが明らかな平成6年12月28日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,原告浅川紀明の請求は,54万4824円及びこれに対する請求から7日おいて後であることが明らかな平成6年10月25日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,原告浅川奈緒美の請求は,13万0020円及びこれに対する請求から7日おいて後であることが明らかな平成6年4月21日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,原告戸谷の請求は,11万3745円及びこれに対する請求から7日おいて後の平成7年4月18日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,原告小林の請求は,263万8768円及びこれに対する請求から7日おいて後の平成7年5月18日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,原告木村博の請求は,260万0064円及びこれに対する請求から7日おいて後の平成7年3月18日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,原告高橋千恵子の請求は,563万0560円及びこれに対する請求から7日おいて後の平成10年6月19日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,原告神の請求は,60万8000円及びこれに対する請求から7日おいて後の平成10年12月22日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,それぞれ理由がある。
(裁判官 鈴木正紀)
別紙1 (別表) 退職金支給基準率表
(退職時の基本給月額を基準としてこれを1とする)
<省略>
別紙2<略>
別紙3
1. 原告笹井靖郎 22年6カ月
〔26.4+(26.4÷22÷12×6)〕×282,600×0.8=6,104,160
2. 原告後藤しのぶ 4年11ヶ月
〔4.8+(4.8÷4÷12×11)〕×149,700×0.4=353,292
3. 原告熊倉照(ママ)広 7年1ヶ月
〔8.4+(8.4÷7÷12×1)〕×179,500×0.5=762,875
4. 原告友利覚 10年7ヶ月
〔12+(12÷10÷12×7)〕×173,000×0.6=1,318,260
5. 原告蔵(ママ)本亮太 7年6ヶ月
〔8.4+(8.4÷7÷12×6)〕×256,100×0.5=1,152,450
6. 原告斎(ママ)藤雅靖 17年4ヶ月
〔20.4+(20.4÷17÷12×4)〕×274,200×0.7=3,992,352
7. 原告浅川紀明 13年5ヶ月
〔15.6+(15.6÷13÷12×5)〕×206,400×0.6=1,993,824
8. 原告浅川奈緒美 4年7ヶ月
〔4.8+(4.8÷4÷12×7)〕×165,100×0.4=363,220
9. 原告戸谷利之 5年1ヶ月
〔6+(6÷5÷12×1)〕×120,900×0.5=368,745
別紙4
1. 原告小林茂一 20年2か月
〔24.0+(24.0÷20÷12×2)〕310,300×0.8=6,007,408
2. 原告木村博 22年8か月
〔26.4+(26.4÷22÷12×8)〕×278,900×0.8=6,068,864
3. 原告高橋千恵子 21年8か月
〔25.2+(25.2÷21÷12×8)〕×270,700×0.8=5,630,560
4. 原告神徳博 7年11か月
〔8.4+(8.4÷7÷12×11)〕×128,000×0.5=608,000
別紙5<略>
別紙6<略>